投稿日:2008-01-31 Thu
ちょっと前に話題になった河合香織さんの『セックス・ボランティア』と僕は未だに真剣に向き合うことができない。別に、とても他人事とは思えない、というわけではなくて、いやもちろん多少はそれもあるのだけれども、これを読むとどうしても、人間社会の悲しい法則を目の当たりにせざるをえないからだ。肉体的な弱者にとって人を愛するとはどういうことなのだろう。どんなに相手をいとおしく思っても、どんなに守りたいと思っても、自分は相手にとって負担でしかない。どんなに愛しても「慰めるべきもの」以上の価値を相手が自分に見出してくれない。結局自分の恋心を破棄することしか相手のためにできることはないと悟る。
種の保存の原則からいえば肉体的に恵まれたものが愛を勝ち取るのは当然のことであって、弱いものがどんなに「自分の恋愛こそが真実」と言ってみたところで、そんなものは生存競争の原則に照らし合わせて考えてみれば不自然としかいいようがない。
クジラは何匹かのオスでメスを争った後、勝ったオスがメスと交尾している間、負けたオスたちは勝ったオスが沈まないように身体を支えるらしい。人間のオスの感覚からしみてれば、途方もないほどの自己犠牲であるが、自然の摂理に従えばそれこそまさにあるべき姿なのではないかとも思える。負けたクジラはその時点で性欲を捨て去ることに成功するのだろう。性欲が残っていたとしたら、性交中のオスからメスをたやすく奪い取れるはずだ。
一方人間は、「相手のために」と思って恋心を破棄したとしても、性欲はどうしても捨てることができない。
愛情の伴わない性欲など人間社会で一番卑しいとされるものなのに、「相手のために」そういう状態にならざるを得ない。ここに人間のオスの悲しさがある。「真実の愛」という言葉なんか、肉体によって相手を愛することができなかった男たちの、悲しい負け犬の遠吠えであるのかもしれない。
自分は障害者だから肉体によってあなたを愛することはできない。けれども精神によって、健常者には決して得られない真実の愛をあなたに捧げることができる。
そういう考え方がどの程度女の人に受け入れられるのか、僕は知るよしもない。
何年も前、テレビの脳科学の番組で、スポーツ事故のために数十分しか記憶がもたなくなってしまった青年を見たことがある。事故に遭う以前の出来事は全て正確に覚えているのに、あたらしいことは何も記憶に残すことができない。今日食べた朝ごはん、初めてあった人々、友人との楽しいひととき。どんな思い出も彼は積み上げていくことができない。毎日通う施設への道順すら覚えることができないので、毎日メモを片手に家を出る。
そんな彼が、「夢はありますか?」と質問されて、はにかみながら「彼女がほしいですね。理解してくれる彼女が」と答えたことを今でも鮮烈に覚えている。絶対に思い出を蓄積できない人間が望む恋愛。彼がどんなに恋人と愛し合ったとしても、それは瞬間的、刹那的なものにしかなりえない。翌日になれば全ての思い出は彼の中で無かったことになるのだ。彼はそれを自分でわかっていながら「彼女がほしい、恋愛したい」などと言うのである。
このような精神性の高い恋愛を、僕は美しいと思う。だが恋愛に精神性などというものを持ち出すと、とにかく独りよがりな方向に突っ走ってしまうことが多いというのが現実ではなかろうか。
『解夏』という、失明に向かう男とその恋人というわかりやすい設定の純愛物語があった。一応言っておくと、あまり好きな映画ではない。好きな映画ではないけれども、ああいう愛を「真実の愛」だと思ったし、それに憧れる感情も少なからずあった。「失明する悲劇的な自分と、その恋人」というヒロイックな妄想は僕の頭からこびりついて離れない。あのセンティメンタリズムが、僕のずっと思い描いてきた愛の形であるのかもしれない。
僕にとって愛とはなんだろう。
普通の人が思春期に置いてくるような悩みを僕は今もって抱えてるし、抱えざるを得ない境遇にあるという自覚もある。僕が「愛」と呼んでいたものは、結局相手の状況を省みないただの独りよがりか? 慰めを求めるための恋愛でしかなかったのか? 「自分のための」恋愛でしかなかったのか? 死ぬほど苦しい気分になるまで、僕はそう考え続ける。たとえ独りよがりと言われても、恋することをやめてしまったら、とても生きていけそうにないとさえ、思う。
この世に100の恋愛があるとする。
でも、そのうちの99は偽物よ。
なぜかって、自分のための恋愛だから。
私は100のうちに1つしかない本物の恋をしていた。
それは、すべてを愛せる人に捧げつくせる恋愛です。
あの人のためなら命もいらない。
お金も誇りも、私自身の恋する心すらもいらない。
浅田次郎『椿山課長の七日間』より
私自身の恋する心すら、相手のためには、いらない。恋心のために、恋心を滅却する。美しい精神だと思う。でも僕がこの精神を身につけてしまったら、あっという間に盲目的に、誰か何かのために命を捨て去ることになるであろう。生きたい。強く生きたい。性欲から逃れられない肉体的な自己も、得体の知れない「真実の愛」を求める精神的な自己も、両方とも精一杯肯定しながら。「慰め」としての愛しか求めなかった自分の過去に打ち勝ちたい。愛って何だろう、教えてほしい。真顔でそう言う。
投稿日:2008-01-29 Tue
2月12日の眼科の予約を、サイバーエージェントというネット広告企業の説明会のためにキャンセル。代わりの日として向こうが提示してきたのが2月25日。13日も先になるのかよ、と思ったのだが、主治医の先生がいてしかも視野検査のできる日となると、それくらいになるのは仕方ないようだ。こうやって今でも眼科に定期的に通ってる。中3のときからだから、もう7年め。半年にいっぺんしか行ってなかった時期もあったとはいえ、ちょっとびっくりする。通った眼科の数は、4つ。
ひとつめ、中学2年生のとき。アトピー性皮膚炎のために、顔がひどいことになってた。こすったり叩いたり。真っ赤になって、いろんな色の体液が噴出して、よくあれを耐え忍んだな、と今でも感心するくらい、大変だった。母親がいろいろがんばってくれたおかげで顔はだんだんきれいになっていったけど、黒い点やら変な色の光やらがいっぱい見えるようにもなっていた。
皮膚のただれがあまりにひどかったせいで、視界がおかしくなってることに頭がまわんなかったんだろうな、きっと。中学生のときの自分には、今でもたまらない哀れみを感じる。
一人で病院に行けることを誇りに思うようになった時期だったから、「こんどお母さんと一緒にまた来なさい」と言われたことが不満だった。数日後に母親と一緒に再訪。「手術が必要です。このまま放っておくと失明します」という医者の言葉、思いつめた母親の表情、今でもはっきりと覚えている。
その眼科病院は、街のメガネ屋のために処方箋を書く、くらいの役回りだったので、当然そこで手術など出来はしない。眼科専門の大病院の紹介状をそこで書いてもらった。郡山市にある、全国的にも有名な眼科専門病院で、日本ではじめて角膜移植を成功させたえらい先生がそこの元院長さん。そこが2つ目の病院。
初めて入院したのが中2の3月。
いったん退院し、再手術のためにもう一度入院したのが中3の8月。
そして右目の失明が確定したのが、その一ヵ月後。中3の9月。
その間のことは、いずれ気合を入れて詳述する。詳しく書こうとすれば、果てしなく詳しく書ける。
なにかと大変ではあったが、高校にはちゃんと入れた。高校時代は半年に一回ほど、授業を休んで通院した。
そして大学生になる。(つづく)
投稿日:2008-01-27 Sun
邦画をよく観るようになった。字幕を見なくてもよいからだ。俺の穴だらけの視野はたまに、字幕の文字をとらえきれない。縦と横の両方に字幕が入るような場合、どちらかを諦めるしかない。英語くらいリスニングできるようになりたいんだけど、とてもとても。泣きたくなるくらい、できない。
本を読むにしても、他の人よりかなり遅いスピードで読んでるんだろうし、読み飛ばしも多いと思う。だからしょっちゅう話の筋がわからなくなってページを逆に手繰る。三色ボールペンでのチェックも書かせない。アートを鑑賞するにしたって、作者が意図した「かたち」とはかなり違ったものが俺の目に映ってるに違いない。たかが街の案内看板見るにしたって、文字があちこち欠けるので識別に苦労する。
「見る」という普通の人間にはあまりにも自然な行為が、俺にとってはもっとも精神力を要する作業だ。だからこそ、なにを見るにも相当な気合を入れて見てる。普通の人間がぼんやりと見過ごすしかないようなものを、異様な気力を注いで見てる。
限定された俺の視野に移るものの一つ一つ、俺は大切にして生きていきたい。左目から見える小さな世界。牢屋の囚人が窓から外を覗き見るような気持ちで、俺は世界を見ているんだと思う。
「見る」という行為は俺にとって日常ではない。何かを「見る」たびに、俺の精神は研ぎ澄まされ、何事に対しても鋭敏になっていく。
生きることのつらさは生命力の源。
『ウェブ時代を行く』『ウェブ進化論』の著書である梅田望夫さんには感謝したい。彼の著書を読まなかったら、自分の境遇をブログに書いて発信するなんて着想は得られなかった。精神的なつらさを、生命力のエネルギーに換える術を思いつかなかった。
どんなにつらい気持ちになっても、それをブログに書くことによって自己表現することができる。しかも、ほんの僅かながらも、それを読んでくれる人がいる。そのことだけで、どれほど強く生きるための力になるかわからない。
投稿日:2008-01-25 Fri
月に20冊から30冊くらい本を買う。雑誌も含めてね。一冊2000円するようなやつだって、何のためらいもなしに買う。こないだなんてAmazonで「寺山修司」で検索して、出てきた本上から14冊、何の確認もなしに一括注文したからね。15000円くらいだったかな。映画も月に10本から20本観る。映画館にも行くし、DVDも借りる。学生料金で1500円の映画館、何回でも行く。
歌を、歌っている。学生団体の活動で。何百人も入るような、立派なコンサートホール、借りちゃって。すごく、お金がかかる。
どこに、そんなお金、あるの?
ぜーんぶ、ぜんぶ、じいちゃんの遺産! いやまあバイトもそれなりにしてるけどさ。ちょっとした付け足しにすぎない。じいちゃんはお医者だったの。俺が8歳のときに死んだけど。なにがあっても、孫が大学に行けないというようなことだけはないようにと、巨額の資金を俺のために遺してくれた。
ほんとうにありがとう。
その巨額の資金を、俺は上記のように使って食いつぶしている。もちろん、立派な自己投資だと思っている。本、今読まなきゃいつ読む? 社会人になってもメルヴィルに手を出す余裕があると、言ってくれた人は今のところいないよ。映画、今観なきゃいつ観る? 「今週中にキューブリックの作品全部見倒すぞ!」なんて言ってられるの、今だけでしょう?
俺は全然悪びれていない。やるべきことをやっているという、自負がある。お金に困ったことなんか、ない。父親が何年も無職なのに、全然金に困らない。働かなくてもお金なんかいくらでも手に入るんだ、って心のどこかで思ってた時期が、絶対あった。
豊かな時代の、豊かな都市に、生きている。
その豊かさを、俺は両手いっぱいに享受している!
そんな豊かな時代に、もし不遇であったら。
それはすなわち、圧倒的少数派であることを意味する。
こんな時代に、食えねえ、生きられねえ、とか言ってるやつ、少数派。KY。
でも俺は、月に何度も、週に何度も、一日のうちに何度も、生きられないかもしれない、と心のうちにつぶやいて、人知れず、恐怖のためにのたうちまわる。どんなことがあっても生きるんだ、と自分に言い聞かせる。現実が襲い掛かる。また恐れおののく。
申し遅れた。
俺は、こんな時代に、失明の危機に怯えている、希少性の高い、大学生、世間じゃ一流金持ち大学といわれるとある私立大学の、文学部生、である。
だいぶ前、中学生のときに右目の視力を失ったけれども、高校のときの友達も含めて、俺の周りに俺の目のことを知ってる人間は、ほとんどいない。一応、ちゃんと開いているし、黒目もあるんだ。
なんで誰も知らないのか。もちろん、俺が言わないから。
言ったら、周りが気まずくなる。皆が俺に接しにくくなる。
空気を読め。それは、言わないでおけ。
周囲を気まずくすることが、今のお前に犯しうる最大の罪だ。
そんな強迫観念を、いつとも知れず植えつけられていた。
だがそうも言ってられなくなってきた。ひとり残された左目の方もなんだか、具合がおかしい。ぽっこぽっこ視界に穴が空いている。まっすぐな線が捻じ曲がり、一本の線が二本にも三本にもなる。お医者は異常ありませんと言う。
俺は本気で怯え始めた。生きられないかもしれない。誰か助けてくれって、大声で叫びたいけれども、そんなことしたって周りが気まずくなるだけと、自分の中で誰かがブレーキをかける。まあそのブレーキはなきゃ困るが。いつの間にか就職活動の時期。「普通の人間」を装うのをやめるわけにはいかないから、一応就活ちゃんとやる。いやむしろ、人の何倍も真剣にやってる。だけれども就職してそれからどうするのか。仕事ができないくらい目が悪くなったら、そのさきどうやって生きてく? ビジョンはない。こんなに失明を現実的なものととらえてるのにも関わらず、先のことは全く考えてない。
なんとしてでも、まずは生きなきゃ。
生きたい。どうすればいいのかわからない。恐怖ばかりがつのりにつのる。
ついに答が出た。それが、自分の体験、自分の思いを、ブログにして世間に発信すること。
俺にしか書けないこと、俺にしかわからないことが、本当にたくさんある。そう信じて。
恐怖を克服し、運命を受け入れ、そして生きなければならない。このブログは、あまりにも真剣にそんな思いを詰め込んだ、一見優雅に暮らす大学生による本気の闘病日記である。
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