■プロフィール

Author:MINORIN'
1986年4月生まれ。福島県出身。
東京都内の私立大学文学部に通う。
中学3年のとき、右目失明。
20歳を過ぎた頃から、両目失明の恐怖に苛まれる。
現在、就職活動に際し、生き方を模索中。

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犠牲者
 こないだクジラの話をした。メスをめぐってオスたちは争い、一匹のオスだけが勝ち残る。勝ったオスはメスと交尾する権利を手にする。負けたオスたちは交尾している雄の体が沈まないように身を呈して支えてやる、ということだ。

 負けたオスの自己犠牲がなければ勝ち残ったオスもメスと子孫を残すことができない。「子孫繁盛」という目的のために生物は平気で自己を犠牲にする。

 人間の世界だって、多くの「犠牲者」がいなければ絶対に成り立たないようになっている。僕たちが日常口にする食物のために、どれほど多くの人々が食糧と幸福を奪われていることか。僕たちの幸せは、世界中の何百万の飢えや貧困に苦しむ人々の上に成り立っている。それは間違いない。そして僕たちはファーストフードをむさぼり食べて彼らの尊い犠牲に一瞬たりとも思いをはせることがない。先進国は貧しい国から食糧を奪い取ってそれを食べずに捨て、貧しい国では毎日大勢死んでいく。そんなふざけた構造を是正する術すらない。

 それでも僕はまず第一に、自分の周りにいる人々の幸福を考えなければならない。遠い世界で苦しむ人々など、しょせんメディアがつくりあげた虚像だ。本当かどうか、わかるはずもない。それよりもまず、自分で肌に触れて感じられる人々に、まず幸せになってもらわなきゃならない。そのためにアフリカで飢えに苦しむ人々には、悪いけど犠牲になってもらう。

 そんな風にして僕たちは生きていく。

 生きるために、牛に魚に植物に、多くの生物を犠牲にしなければならない。人間同士だって犠牲になる。同じことだ。

 その一方、自ら進んで犠牲になる人々も世の中には一定数いる。愛する人のため、愛する故郷のため、あるいは遠い国の知らない子供たちのために。

 「美」という漢字がどうやってできたのか、知ってるだろうか。上の「羊」はいけにえ、すなわち犠牲を表す。ギセイが大きいと書いて「美しい」なのである。

 望む望まざるにかかわらず、人類が生き残るために犠牲者は絶対に必要だ。だから自己犠牲は美しいとされる。でも僕は自分の周りにいる幸福そうな人々に向かって「自己犠牲の精神を身につけろ!」などとは絶対に言えない。自分にも言えない。それでも、今は幸福を受容する立場にある僕たちが、いつか犠牲者の側に回る可能性はある。そのときの覚悟はしておくべきだろう。

 何よりも次に生まれてくる「いのち」の尊さを知るために、犠牲になった人々の「いのち」を見つめることを忘れないでほしい。彼らの失われたいのちの美しさを感じてほしい。彼らがどれほど貴重なものを、僕たちに残していったのか、そのことだけは忘れるべきじゃない。

 「犠牲者のいない世界を目指す」試みである共産主義は失敗に終わった。今ではファシズムと並ぶ巨悪の思想のようにも言われる。ファシズムも共産主義も理想的な社会をつくろうという切実な思いに端を発する点では同じだ。だが理想の追求とは、往々にして人々を暴走させてしまうものなのだ。

 だがそれでも、今もし世界のどこかに「犠牲者の出ない理想社会を目指す」人々がいるとしたら、彼らには絶対にあきらめないでほしいと思う。たとえ暴走するとしても、理想を求める人々がいなければ、いのちの尊さを見つめることを僕たちは忘れてしまう。

 僕はまず第一に、自分が肌で触れてきた人々の幸福を願う。
 そして次に、遠い国の犠牲者たちの美しさに思いをはせる。犠牲者のいない世界を夢見る。
 
 僕の目に映る世界は、普通の人に比べてだいぶ狭い。けれども心の中の世界は、だれよりも広いものであるよう努めるつもりだ。

未分類 | 20:02:17 | Trackback(0) | Comments(0)
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