投稿日:2008-02-24 Sun
はじめての面接で「私は右目の視力がありません」と言った。言うことができた。小さいけれども、大切にしたい達成。今日、合否を確認した。結果、合否の否。かなり好きになった企業だっただけに、残念。
もちろん、「目が見えないから落とされた」なんてことは絶対に思わない。卑屈になることを、絶対に避ける。「どうせ俺は障害者だから」は絶対に禁句。
目が見えないなんて選考に不利になるだけだから言わないほうがいいんじゃないの、と思われるかもしれないけれど、今やこれを言わずに自分を語ることはできないし、これを隠したまま仕事をするわけにはいかない。隠さなければいけない空気があったとしたら、そんなものは打ち破らなければならない。
厳しさに直面している。負けるわけにはいかない。
シカゴでの5日間。俺は鍛えられた。
投稿日:2008-02-18 Mon
健康は確かに素晴らしいことだ。でも「健康でなければなにもできない」というのは、おかしい。健康でなんかなくたって、なんでもできる。
病んでこそ、人生。
投稿日:2008-02-17 Sun
『余命一か月の花嫁』
を書店で手に取った。それだけで、感じ入るものがあった。
誰もが感動する本だろう。商業主義的な「感動」を避ける主義の人(俺もそうだが)でも、これは認めるんじゃないか。
「必死すなわち生くるなり」
死を覚悟したその瞬間から、本当の生が始まる。黒澤明の『生きる』も同じテーマだった。
過酷な運命は生を輝かせる。
みんなそのことを知っている。だったらさ、もう「五体満足」や「健康」をもてはやすのはやめようよ。健康でなくたって人間は十分に輝けるし、病気になるからこそ生きられる「生」がある。それは本当に素晴らしいことだ。
もちろん「病気になったほうがいい」なんて言うわけじゃない。愛する人たちにはいつまでも健康でいてほしいし、自分だって出来る限り健康に暮らしたい。前にも書いたけれども、もし目が治るのならば何千万の借金を背負ったっていい。
俺が「健康」や「五体満足」をもてはやすのはやめよう、というわけは、「健康」から外れてしまった人たちに暗いイメージを与えるのをやめようということなんだ。余命一カ月だろうが、重い障害を背負おうが、人間はいくらでも生命を輝かすことができる。
それなのに生命力のない顔をした病人や障害者の多いこと多いこと。本人の責任もあるが、周りが勝手に「配慮」と称して彼らを重苦しく扱ったりすることにも原因があるんじゃないか?
日本中の病人や障害者の外見を生命力溢れたものに変える。それこそ『余命一カ月の花嫁』の千恵さんみたいな表情にね。それが俺の目標。そのために、「時代の空気を変えることができる」仕事がしたい。そのために、リクルートみたいな会社に入りたい。
正確にいえば、この目標はリクルートの説明会に着想を得たのだが。
健康であることがすばらしいんじゃない。いのちを輝かせていることが素晴らしいんだ。
そういう世の中に変える。
投稿日:2008-02-15 Fri
リクルートの説明会に行って、僕は「常に変わり続けたい、変え続けたい」と思う人間となった。
社会に対して情熱的であり続ける。現実に負けることなく、時代遅れの理想主義者であろうかと思う。
そんな情熱を僕に与えてくれたリクルートという企業に、しばらくは夢を見ることにしよう。就職活動に、感謝。
まとまった文章が書けなくてすいません。
投稿日:2008-02-11 Mon
こう見えてもバリバリの就活生だ。このブログを始めたことがきっかけで、エントリーシートや作文の試験に堂々と「私は中学生の時に右目の視力を失い、劣等感を抱いていました。しかし私はそれをかくのようにして乗り越え〜」みたいな感じで、書きまくってる。これで採用にマイナスになるとは、自分では全然思っていない。
でも俺、こんな目でちゃんと働けるのかな。人並に仕事できるのかな。大切な人を守れるだろうか?
何があっても、ちゃんと生きる。今はそれだけ。
△ PAGE UP



